高速道路における速度差




愛車が伝えたかったこと

 誰かに教わったとか、本や雑誌で読んだことではありません。全てわたくし自身の実体験から身に付けてきたことばかりです。
 それはわたくしに特別な能力が備わっていたということではなく、多くの時間を「クルマを運転すること」に費やしてきた結果です。要するに百戦錬磨ということになるでしょう。まずは高速道路における事故体験談からはじめましょう。

 交通事故体験のところで、はずかしながら正直に書いたわたくしの事故歴の中に18歳の事故歴がありました。高速道路で急ハンドルを切ったために軽自動車で横転したというもの。当時予備校生であったわたくしは、受験勉強とアルバイト漬け生活の生き抜きのため、高校時代の同級生(女性2名)と3名で飛騨高山に向かいました。
 出発を控えた朝のことです。それまで故障知らずで絶好調だった当時の愛車(スバルの軽自動車)が突如クーラントを吹き出しました。真夏でしたが、エアコンも装着されていなかった愛車がオーバーヒートしたのは、奥多摩有料道路を4人乗り全開で登った時だけでした。
 さっそく予備校の講議をさぼり、ひととおりの点検を済ませクーラントを補充すると何事もなく快調になってしまったので、その夜予定どおりに3人で東京を発ちました。
 18歳の貧乏旅行でしたので、軽自動車のエコノミー燃費でも予算は厳しく、80キロぴったりのスピードで東名自動車道を走り続けました。運転免許証を持っているのはわたしだけでしたから、途中のサービスエリアで女性の膝などを借りながら仮眠を取り、決して無理をしないドライブ。
 夜が明けて炎天下の高速道路をエアコンなしの軽自動車は快調に走り続けます。ドライバーと同乗者は汗だらだらで、快適ドライブと言えるものではありませんでしたが、仲好し3人組は初めての地、飛騨高山に思いを馳せながら楽しいひとときを過ごしていました。愛知県に入り、岡崎インターが近付いてきた時に事件は起こりました。



速度差の認識と予知(前編)

 夏の東名自動車道の交通量は多く、深夜のように80キロで走り続けることが出来ません。
 トラックが次々と背後を脅かし、軽自動車の制限速度で走っているマイスバルのテールをかすめて追い越し車線に移ってゆきます。追い越し車線が空いていればよいのですが、塞がっているとトラックはマイスバルを潰す勢いでプレッシャーをかけてきます。
 それでも頑張って80キロで走り続けていると、同じ80速度で背後を走っていたトラックは強引に追い越し車線に割り込みます。
 トラックの加速力では簡単に追い越し車線の流れに乗れませんから徐々に追い越し車線が混んできます。私の前方である走行車線はガラガラ、追い越し車線は渋滞という状態になるのです。考えてみれば大型トラックも軽自動車と同じ80キロ制限(当時)のはずですが、全く意味のないことを知りました。
 敏感なわたしは追い越し車線を追い越してゆくドライバーの殺気を感じるようになり、360ccエンジンにムチを打ち115キロ(性能的最高速度)に速度アップ。これでトラックとほぼ同じスピードになりました。流れに乗ったということですね。するとどうでしょう。さっきまでの事が嘘のように、クルマの流れがスムーズになっているではありませんか。あの渋滞は何処に行ってしまったのでしょう?
 ペースが上がれば燃料を喰いますから、貧乏な予備校生の財布には響きますが、とても気持ちよく走れるのでずっと110キロ以上で走り続けていると、いつのまにやら愛知県に入っています。
 再びまわりにクルマが増えはじめ、ペースは徐々に落ちてきました。元通りの80キロ以下です。目の前のクルマが次々と追い越し車線に移ってゆき、やがて前方を走る大型トレーラーに追い付きました。
 そこではじめて追い越し車線に進路変更することを決意。後方を注意深く確認しながら車間距離を保持しているクルマを待ちます。なんとか車線変更を終了してからフル加速開始。そうです。加速してから進路変更するのではなく、進路変更してから加速開始していたのです。


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